八重の桜 第42回

襄と行く会津
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襄と八重は、新婚のみねと伊勢を連れ立って、会津への伝道旅行に出かけることにした。みねを連れて行くことにしたのは、生き別れたみねの母・うらに再会できるかもしれないという淡い期待があったからだ。
 そして、八重たちはついに懐かしい故郷の土を踏みしめる。山本家が建っていた場所は長屋に変わっていたが、かすかに角場の遺構を見つけて思い出に浸る八重とみね。すると、そこへ山本家の下女だったお吉が現れ、うらの消息について重い口を開く。八重とみねはその情報を頼りに、うらのもとを訪れ、再会を果たす。うらは立派に育った娘の姿に涙するのだった。
自由民権運動が活発化すれば、
次は・・・「板垣死すとも、自由は死なず」で有名な、襲撃事件ですね。
でも、ここは土佐弁で「わしが死んじゃち、自由は死なんぜよ。」
なんだか、リアルでした。
襲撃は45歳の時だそうで、養生のために襄さん作ったミルクセーキを
飲んでたのが、妙に面白かった・・・などと、呑気に観ていると
八重さんたちは会津へ行くことに・・・板垣さんが会津の戦で感じたことが
きっかけで、自由民権運動へ繋がっていったとは思いもよりませんでしたが
これが会津へ行くためのきっかけの一つともいえるエピソードになって
いるのが、上手いなぁ~って思ってしまった。
会津へ行く前には襄さんの故郷・安中へ・・・別々に行って、ここで合流。
交通手段は歩くのがまだ普通だったのかしら?鉄道もまだ開通してないはず。
八重さんたちは船で出たそうですが、遠回りのような気も・・・
考えたら、遠いですよね・・・長い間、帰れなかったのもうなずけます。
会津ではお城も取り壊され、当時の面影を探すのも一苦労・・・でも、
見つけた思い出の場所。
回想シーンが出てくるのは当然だとは思ってはいたけれど、
さすがに、こみ上げるものがありました。ほんの10数年前だというのに、
別の国だったのですよね・・・
そして、うらさんとの再会。
うらさんのことは、分かれてそのまま?って思っていたので、
ここで描いてくれたことで、観ている方も重荷をおろした感じです。
東を向いていろと言われれば、ずっと向いているような女と言われていた
うらさんが、自分で決めて貫き通すのですよね。
その強さが、逆に切なかった。彼女こそ、幸せになってほしいな。
うらさんと同じくらいの時を過ごしているのに、過ごす環境が違えば
全くの別人になってしまったのが、アメリカへ留学していた捨松さん。
日本語、聞くのはいいけれど喋れなくなってるっていうのは凄いね(笑)
こうして・・・
明治を牽引していく人たちの微笑ましいエピソードが散りばめられて
八重さんたちがこれからも語られるのかしら。
ちょっと、期待♪
第40回                           第42回

この記事へのコメント

  • ヒカル

    毎週,楽しく見ています。
    「明治」という時代は,新しい国を作ろうとする明るい気分にあふれた時代でもあったのだな,と思います。

    船旅。今でこそ「ゆっくり」のイメージですが,当時は,今にたとえたら飛行機みたいな位置づけだったのかなと想像しています。
    2013年10月27日 16:07
  • ひらで~

    ヒカルさん♪
    コメント、ありがとうございます
    ドラマで、八重さんと襄さんの世界を
    観ていると、私も明治とは名の通りの
    雰囲気のように感じるところがあり、
    私もそんなところを楽しみして
    毎回観ています♪

    船旅・・・そうですよね~当時としたら
    高速ですよね。それに、陸路を思えば
    半分以上歩かなくていいのですよね。
    船旅、してみたいなぁ♪でも、長野から
    ですと、それにはまず海にでなければ
    ならず、そこまでが長かったりする(笑)
    ちなみに、今までに乗った最長路の船は・・・
    佐渡汽船♪それもとっても昔です(^^;)
    2013年10月28日 12:34

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