襄の求婚を受け入れた八重。しかし槇村は、キリスト教徒である襄と婚約した八重を女紅場から解雇しようとする。キリスト教に入信しないことが雇用継続の条件と迫る槇村に、八重は夫の考えを認めて支えていくことを宣言。そして、教え子たちに後ろ髪を引かれながらも八重は女紅場を後にする。日本人、お得意の“本音と建て前”が
そのころ、中央政界から離れた西郷は、薩摩に戻って学校を開いていた。生徒の大半は、職を失い、日本のありように不満を持つ士族たちで…。
テーマだったような今回です(^^;)
キリスト教徒の襄さんを相手に薦めておいて、それはないですよね・・・
と簡単には、いかない時代というのもあるのでしょう、
少し前までは禁教令が布かれ、破ったら重罪人したから
それが今日からいいですよ~なんて言われてもね~
明治に変わって、そんなことはキリスト今日に限ったことでは
ないかもしれませんが、仏教のお寺ばかりの京都、
風当たりが強いのも当然なのでしょう。
襄さんや八重さんが受けた迫害もドラマでは描けないことも
多かったのでは、と察します。
それにしても、槇村さん・・・嫌な奴です(笑)高嶋政宏さん、こういう
濃くて嫌な感じの役、上手ですね~
彼はきっとお役所の象徴みたいに描かれているのだろうけど、
表と裏がありすぎで、かえって面白い人です。
“本音と建て前”を使い分けるように言われても納得しないのが
八重さん・・・覚馬さんもですね。
虐げられても、屈しない会津者ですからね♪
女紅場から力ずくで追い出そうとする者に対しての啖呵が
カッコいい八重さんです。
そんな八重さんに、なんでも話してほしいと願う襄さん。
おいてけぼりをくう寂しさを、尚之助さんで味わっている分、
襄さんの気持ちが人一倍わかるのではないでしょうか・・・
こうして、互いに近づき同志となる二人。
愛情ををも通り越しての結びつきは、容易にはできないものです。
お母さんの心使いも泣かせますね・・・案じるだけじゃなくて
いつも背中を押してくれるようなお母さん・・・いいなぁ
私もそうありたいけど、いつも小言ばかりです(^^;)
牧村さん直伝の“本音と建て前”を使い分け(笑)
同志社を開校したお二人ですが・・・苦難の道は続きそう・・・。
第35回


この記事へのコメント
ともちゃん
ひらで~さん、花粉症ですか?実は私も今鼻ぐすぐすで風邪かなと思っていましたが、もう来てますか
これから毎日マスクが離せませんね、お仕事がおありになるから大変辛いですよね、お大事にしてください。
「八重の桜」36回
尚之助さんとの死別があまりにも悲しすぎましたが、八重さんはきっとその想いをしっかりと心に刻み、襄さんの求婚に「はい」と承諾しましたが・・・あまりの決断の早さには驚かされました。
また今迄教えていた女紅場も槇村から解雇され、仕事を失った八重さんは夫となる襄さんの宣教師の手助けしようと決意、
襄さん、覚馬さん、槇村さん、宣教師の人たち、と八重さん等同志の誓いを結び、これからの日本の教育を広める為の学校を設立、これが現在の同志社大学の創始だったのですね。
古来よりずーと神社、仏教国である京都に新しく異文化の教えを布教する事には大変な努力があったでしょうね。
襄さんとの結婚式の裏には八重さんのお母さんの粋な計らいで、八重さんのウエデイングドレスの衣装姿・・・
綺麗でしたね!
あの当時、日本人があの衣装で結婚したのはなかったでしょうね、
何事にも前向きに考え、チャレンジしていく八重さんこれからもどの様な困難にも決して挫けない八重さん
見習いたいですね!
ひらで~
台風の影響はどうですか?
関東は大荒れのようですが・・・こちらは
雨はぱらつく程度で、暑いだけです。
花粉症は、相変わらずでが重症ではないので
まだいいかも・・・
同志社大学については、私もこのドラマが
なければ、そんな経緯で、誰が創始者で、
など何も知らずにいたでしょうね(^^;)
明治維新後の京都がどのようであったかも
気にせずいたことでしょう。
会津のこともそうですが、歴史の陰の部分を
知るのも大切なことですね。
ドレス姿、綺麗でしたね。
キリスト教での初の結婚式だったよう
ですから、ドレス姿での花嫁も初だった
のでしょうね♪