解らないままも面白くないので、簡単に調べてメモ、メモ♪
書きかけなので、追加があります。
あくまでも、私的簡単メモですので、まじめに知りたい方は
他で調べくださいね♪
か行
関防大印(かんぼうだいいん):第36話出。荊州刺史・劉琮が持つ印。関防とは中国の関所のことで、関防印は関所を出入りする際に書類におした印。
儀仗兵(ぎじょうへい):儀礼・護衛のために、天皇・皇族・高官や外国の賓客などにつけられる兵
騎都尉(きとい):羽林(皇帝直属の部隊名)の兵権を持ち独立軍を動かせる重職、加官以外の役職でもある⇒曹操
驍騎校尉(ぎょうきこうい):黄巾の乱後に制定された皇帝親衛隊の指揮官。⇒曹操
玉璽(ぎょくじ):皇帝の印章。中国では伝国璽(でんこくじ)を指すことが多い。伝国璽とは秦の始皇帝の時代より伝わり、中国の歴代王朝および皇帝に代々受け継がれてきた皇帝用の印で、正統王朝の証拠ともなる。
県令(けんれい):古代中国に於いての県知事にあたる役職。ちなみに、中国では州>郡>県の順
高尉(こうい):指揮官
黄巾の乱(こうきんのらん):中国後漢末期184年(中平1年)に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。黄巾と屋ばれる黄色の頭巾をかぶり目印としたため、この名がついた。後漢衰退から三国時代突入の原因ともなった。
太平道は国政の混乱による地方豪族の台頭や天災が頻発した後漢末、農民や民衆は疲弊し、不満を募らせていた彼らの、新たな生活基盤や信仰の拠り所として存在していた。
さ行
司空(しくう):官吏の管理担当(官吏の最高位)。大司空や御史大夫(前漢)などとも呼ばれ、三公のうちの一つ。土地、民事を担当。ここから古代では司空を水土の官と呼んでいた。後漢では司徒に次ぐ立場で、政策の立案や官僚の監察といったものが主であり、皇帝の側近としてその諮問や報告などを司る。
刺史(しし):前漢時代から置かれた州の長官。各州に一名が配置され、主に政務の監察を担う。官制成立以降、軍事の権限や俸禄等の拡大に伴って「牧」と改称されることもあったが、刺史と牧の間で何度も変わり、州牧とも称され、州によって「刺史」と「牧」が並立していた。
丞相(じょうしょう):大司徒参照
相国(しょうこく):漢代に於ける廷臣の最高職で丞相(大司徒参照)の上。「相邦」と呼称されていたが劉邦(高祖)が帝位後に改名。初代・蕭何や二代・曹参に敬意を表し以後就く者はいなかったが、献帝を擁立した董卓がこの長い間封印されていた相国の位に就いている。
尚父(しょうほ):第7話出。太公望のこと。渭水のほとりで釣りをしているところを周の文王に見出され、その子武王を助けて殷王朝を打倒したとう“史記”などの説話から、董卓が名乗った・・・のでは?
た行
太尉(たいい):前漢の頃は大司馬、太尉と呼ばれていた。軍事の最高責任者(国防大臣)だが、兵権は大将軍に奪われ、行政上の名目でしか無い。三国に入ってからは将軍、都督の幕僚、属官の役名になった。三国時代の大尉は全軍の総軍師的色合いが強い。
大司徒(だいしと):周代には地官の長として戸口・田土・財貨・教育などの民政担当の政治最高責任者で、天子を補佐して政治を司る総理大臣的立場。前漢末に丞相を改めて大司徒とし、大司馬・大司空とともに三公と称した。三国になると前漢で使われていた丞相という名称に復活。後漢以降は司徒という。
太師(たいし):三師(太傅・太師・太保)の一つ。名誉職で、三公の上に位置する非常置官。天子が幼年の場合に代わって政治を司り、同時に天子の教育に当たる。臣下の官職の最高位だが、非常設の名誉職に過ぎず、同じく非常設の「大司馬」「大将軍」も除き実際は三公が中央政権の頂点になる
太守(たいしゅ):郡の長官のことで、守とも呼ばれる。
太上皇(たいじょうこう):退位した存命の皇帝に送られる尊号。日本では、「上皇」とも呼ばれる。
大都督(だいととく):軍の総司令官(都督参照)。呉の国の大都督 ⇒周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜
中郎将(ちゅうろうしょう):宮殿の門戸を守り戦時には戦車や騎兵に充てられる中郎を統率した前漢以降の官職。
鎮(ちん):軍事的、経済的要地に派遣された軍団の事⇒十八鎮
都尉(とい):郡の軍事を掌る、秦、漢の官職名。太守を補佐し、郡内の武職や兵卒を掌る。副官は丞(じょう)
都亭侯(とていこう):爵位の一つ
都督(ととく):本来は、軍司令官のこと。刺史を兼ねることが多く、都督府を置いて府官を任じた。三国時代に諸州の軍権が民政から独立していくと、都督が諸州諸軍事の長官とされた。
は行
牧(ぼく):刺史参照
別駕(べつが):刺史または牧の巡察に随行する官
ま行
盟主(めいしゅ):同盟の主宰者。仲間のなかで中心となる者。
この記事へのコメント