
アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン
I COME WITH THE RAIN
2009年 フランス
監督・脚本: トラン・アン・ユン
音楽: レディオヘッド
グスターボ・サンタオラヤ
出演: ジョシュ・ハートネット (クライン)
木村拓哉 (シタオ)
イ・ビョンホン (ス・ドンポ)
トラン・ヌー・イェン・ケー (リリ)
ショーン・ユー (メン・ジー)
イライアス・コティーズ (ハスフォード)
二年前に係わった連続猟奇殺人事件がもとで心と体に傷を負い、警察を辞め
今は私立探偵をしているクラインは大手製薬会社のオーナーから
失踪した息子・シタオの捜索を依頼された。
手掛かりを基にフィリピンに飛ぶが、シタオは殺されたという話を聞く。
だが、一方でシタオは香港で生きているとの情報があり、クラインは
香港へ。香港に着いた彼は捜査の協力を依頼するために
昔の同僚メン・ジーを尋ねるが・・・。
観てから二週間以上が経ってしまいましたが
感想がなかなかまとまらなくて(笑)
ビョンホン目当てで、どんな内容かも知らずに観に行きまして
不思議な展開にあらら?な時間を過ごしたわけです。
あまりに不思議なので監督の意図を少し知りたいと
少し調べましたが・・・作品のHPが開けなくて・・・
他の所で、、「世界中の人々によく知られている、
ある古典的な存在を今風のモダンなものにし、しかもアジア的な
イメージを与えて描きたかった」というコメントを見つけ
やっぱり、あの方なのですね、ということで少しは納得した感じ(笑)
物語は一見、クラインのシタオという人物の人探しなのですが、
探すというより、惹きつけられれいく、という展開なのですね。
シタオは人の傷を自分に移して癒すという力を持っていて、
香港(なぜ?)で傷ついた人々を救っているのです。
たぶんその癒しの力はクラインのように心に傷をもつ人々を
引き寄せる力もあるのでしょうね。
逆に解釈すればそういう人を求める傷を負った人が多いという
ことなのでしょう。
私はキリスト教とはほとんど無縁な世界で生きてきましたから
・・・見たり、聞いたりするくらい・・・以前から不思議に思っていることが
ありました。それは磔にされたキリスト像をなぜ拝むの?ということなですが・・・
だって、仏教で拝むものは穏やかで優しそうな仏像ですし、
中には怒った顔の仏様もいますけど、傷ついた痛々しいキリスト像では
心が癒されないような気がず~っとしていたのです。
この映画を観てなぜだか、そのことを思い出したのですが
傷とか痛みってもしかしたら唯一人間が共感できるものなのかな、
とか考えたりしたり・・・
楽しみや喜びはある程度、生活や文化によって差があるし
愛も最初から知らなければそれとわからないだろうけど、
傷による痛みは大小の差はあるにしても“痛い”のだから・・・
上手く言えないけど、人種、性別、年齢関係なく
痛さだけは平等に共感できるものだから、
そういう意味でも痛々しいキリスト像はあるのかな?
なんて自分なりに考えてしまいました。
ただ・・・そういう共感は嫌かも、とも思う。
きちんとした教えがあるのですから
間違った方向でしたら、ごめんなさいです。
反面、アジア的な私が共感したのは再生
・・・ジャングルの奥地で雨に打たれるシタオ・・・
命の再生シーンならアジアの方が説得力があるよね。
自然の一部と化すようなイメージはまさにアジア的です。
映画の真意はそんなことで・・・って?(笑)、今もって謎ですが
ビョンホンは好かったです♪・・・って、やっぱりそこですね!
『JSA』の彼が一番好きなのですが、その時と同じような表情が観れて
やっぱり、好いね~♪と感激しました。
主役(だよね?)のジョシュ・ハートネットはもう少し華奢なイメージを
持っていたのですが、ラストでの力技にびっくりでした。
ショーン・ユーは香港映画ファンとしては、もう少し観たかったなと。
そうそう、預言者みたいな若者(?)のサム・リーがツボでした♪
この記事へのコメント
マリー
雨のジャングルシーン・・・確かにアジア的でしたね。。。
私もよくワカラナイまま、最後まで観てました。
あの話(どの話?)とは思わなくて・・・
替わりに痛みを引き受ける能力なんて、嫌だな~~~。
ビョンさま、迫力ありましたね~。
ひらで~
そうか~、
ジョシュくんが主役ですね(笑)
なんで、そういう話を?というのも
あるんですが、
いい男たちが一度で観れるのは
嬉しいこと♪っていうことに(笑)
ビョンホンはキレても、泣いても
好いいのよね